人を好きになるということ

今日、時折スキンシップを交えながら寄り添って歩くカップルを見ていて、ふと、人を好きだという恋愛感情とは、一体どういう気持ちなのだろうか、その正体とは何なのだろうという疑問が浮かんだ。

この疑問は、世代的にも、同級生が次々と結婚していくここ数年よく浮かぶのだ。

「好き」ってなんだっけ?ということを、あくまでひとりの、恋愛経験の乏しいアラサー男の目線で考えてみた。



まず、自分の経験を思い返してみる。

学生の頃、誰かを好きになるとき、僕は見た目からだった。
なんて可愛い人だろう、こんな子と恋人として仲良くしたい、手を繋いだり抱きしめたりしたい、エッチなことも含めて、そんな思いが僕にとっての「好き」だったように思う。

それに加えて、性格の良い子がいいよね、みたいなのとか、学生特有の感情として、自分のステータスとして、こんな可愛い子を恋人にできたら自慢できるだろう、そんな思いもあったようにおもう。


今も、もちろん「なんて可愛い人だろう」と思うことはよくある。
こんな人とお近づきになれたらさぞかし幸せだろう、と思う。

けど、それは「好き」なのだろうか?
それは極端にいえば、自分の性的な欲求の対象でしかない。


確かに、人間は動物であり、人を好きになるという感情は、本能的に子を産み、育てるための感情だと思う。単純にそう考えれば、「性的な興奮を覚えること」が「好き」という感情の本質とも言える。

実際、恋人や夫婦というのは肉体の関係を持つのが一般的であることを考えても、見た目やスキンシップは「好き」の重要な要素なのだろうと思う。



ただ、歳を重ねるにつれて、それとは違う「好き」が見えてきた。
それは、「この人と一緒にいると楽しい、一緒に何かをしていたい」という、「一生を共にするパートナーになってほしい」という感情である。

結局、30、40、50、60・・と歳を重ねていく中で、性的な部分は本当にごくわずかに過ぎないと思うのだ。一日24時間を何年も何十年も共に過ごす中で、家庭、仕事、病気や怪我、様々な困難を一緒に乗り越えていく、パートナーとしての割合の方が圧倒的に多いはずなのだ。


つまり、人間が本能のみで動く動物であれば、より強い子を残すため、より魅力的な相手と子を産み育てる、ための感情が「好き」なのだと思うが、

考えて、協調して生きる「ヒト」という動物は、共に社会の中で助けあって生きていくためのパートナーとしての感情も「好き」の大きな要素なように思う。多分、そんな感情が人それぞれのバランスの中で、人それぞれの「好き」という感情を構築しているのではないかなと思う。


僕は、パートナーとして一緒に生きていきたいと思う気持ちと、見た目の好みとは別だと思っていて、結婚する分には見た目の好みなんてどうでもいいのかなあ、なんて思ってきている。

けど、一般的には恋愛や結婚には性的な要素は基本的に含まれるわけで、性的な意味で魅力的と思えていないにもかかわらず、その感情を「好き」と言っていいものなのだろうか、という疑問も残るのだ。



難しいなあ。
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  by mechaegg | 2015-08-28 20:18 | 日記 | Comments(0)

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